1991年の1月17日。この日に湾岸戦争が起きました。この日をさかいに,自衛隊の派遣が行われるなど日本も戦争と無関係ではいられないようになってきたという気がします。
そして1995年1月17日5時46分。この日に阪神大震災が起こったのです。
当時僕は神戸大学の学生。(そこのあなた,年齢を計算しない(笑))地震の中心地である神戸市灘区(激震区)のアパートに住んでいました。
その前日,1月16日付の夕刊に「神戸で震度1」という小さな記事を見つけました。僕は神戸で地震なんて珍しいなぁと思っていました。その記事を目にしたのは神戸の中心地・三宮から帰ってきたときでした。この日は次の日の午後の授業で提出するレジュメの作成におわれ,レジュメが完成したのは地震の1時間30分ほど前の午前4時過ぎでした。授業は昼からだし,午前中は寝ていればいいやと思い,就寝したのが4時30分すぎ。
そして,5時46分,その時が来たのです。
気がつけばものすごい揺れを感じていたというのが正直な感想です。しかし,その時はいったい今現実に何が起こっているのだろうという感覚でした。とにかく,いろいろなものが落ちてきたり,体を制止させることができません。1分近くの揺れだったと思うのですが,その何倍何十倍の時間にも思えました。
ようやく揺れがおさまり,暗闇にも目も慣れ,自分の無事を確認すると(頭の横にテレビ,右足の横にデスクトップのパソコンが落ちていました…。),室内にあった一眼レフを手に外へ飛び出しました。目にうつる風景は,昨日までのものとは一変していました…。
上の写真はそんな中で撮った2枚です。上は地震の影響で1階をつぶしながら2階が道路の半分まで出てしまった家です。下の写真は近くのマンションの給水塔か何かが落下し,自転車小屋を破壊したものです。これ以外にもあと数枚残ってはいるのですが,今回はこれだけにしておきます。
まわりはほぼ壊滅状態。このあたりは昔から地震が少なかったため,木造建築が多かったことと建築法がそれほど厳しくなかった時代。今話題になっている構造偽造問題はこの地震を機に改正されたものです。うちのアパートは見た目はそれほど新しくはなかったのですが,まがりなりにも鉄筋鉄骨だったらしく,たいしたひび割れもなく無事でした。ですが水道などライフラインは全て止まっていました。心配した両親は僕からの電話での一報を聞き(報道では依然神戸の状況が伝えられない時に),舞鶴経由で(阪神高速が倒壊したため),僕を迎えに来てくれました。僕にはこのように幸いにして帰る家があったので,その後(1ヶ月後には神戸に戻りましたが)の苦労は他の人よりも少なくてすんだのです。
あれから11年。神戸は確かに以前のようにきれいな町並みに戻ったように思えます。しかしながら,以前には見られなかった空き地が市内のあちらこちらに依然残っているようです。
たくさんの犠牲者を生んだこの地震。耐震構造を偽造した人たちは何を学んだのでしょうね?今日の証人喚問のニュース映像を見て,怒りとあきれた思いが交錯しました。金儲けと人命。こういった人たちは僕たちと比べる天秤が違うようです。
あの現場に居合わせたものならば,そういった考えはおこらないだろうに…。そんなことを考えた1日でした。
この話になるとスペースが足りなくなるので,まとまりがありませんが今回はこれで終わることにします。

ご無事で何より!
ワタシはその時、実家の1階の自分の部屋で就寝中でした。
揺れを感じて枕を持って外に一目散に飛び出したことをよ〜く覚えています。飛び出したはいいものの揺れは感じるし、恐ろしくなってまた家の中に戻って行ったのですが、まさか神戸であのような震災が起こってるとは思ってなかったので、ニュースを見てビックリしましたね!
もちろん神戸に友達も居たもんですから、連絡を取りたいものの、なかなか連絡が取れず苛立っていたのにもかかわらず、友達は実家から神戸には帰ってなかったようで拍子抜けでした。ワタシの知り合いには旦那さまが仕事に出掛けたきり帰らぬ人となった人もいます。
11年あっという間のような気もしますが、今の時代何があるか分からない。決して忘れてはいけないと思います。
ワタシも長々とすみません。(汗)
非常時のことを考えていろいろ備えをしておかなければいけませんね。
びっくりして飛び起きてすぐテレビをつけて唖然としていた記憶があります。
写真すごいですね・・上の写真は最初パッと見て分からなかったですけど、1階部分が潰れてしまっているんですね。怖いですっ。
ご無事で何よりでしたね。
あの現場におられたのですね。大変だったとお察しいたします。あの地震で地震国日本が誇る高速道路神話が崩れ去り、直下型地震への都市の脆弱性が露呈したのです。
同時に新耐震基準の有効性もある程度ではありますが実証されたと思います。
あれから毎年この日が来ると、建築、構造を生業とし、皆さんの生命財産を守る仕事をしているものとして気が引き締まります。
耐震偽装・・・偽装した建物が建つ地域には絶対地震が起きないとでも思っていたのでしょうか。もしも住民の方々が不幸にも亡くなった場合、殺人ではないにせよ未必の殺意は認定できるのではと思います。それほど重大なことです。
少し熱くなってしまいました。二度とこんなことを起こす人間が出ないことを祈ります。
ありきたりながら、たいへんだったですね。私もこの年の3月結婚式を控えてたので、この時期にはあの時のことが頭をよぎります。そして、もうというかまだというか11年たったんだー・・・と。がんばろうコウベと元気づけてくれた仰木監督も今は亡き人となってしまいました。
そして結婚式の翌日あの地下鉄サリン事件が起きて、慌ただしいなか新婚旅行へと行ったのを覚えています。耐震偽装の承認喚問と日がダブルっていうのも複雑な思いです。
映像を通してみたのは,神戸から脱出して舞鶴あたりのラーメン屋に入った時に,テレビで見たのが初めてでした。実際に見ているのに,テレビを通して見たとき,あそこに自分がいたのかと逆に怖くなりした。
確かに耐震構造偽装事件以来,善良な建設業者の方々は多大な迷惑を被っていると思います。
耐震だけでなく,住んでいる人が幸せになるようなそんな家造りをして欲しいですね。
その後,神戸市民みんなのがんばりもあって前と同じような素敵な街に戻りました。でも,この地震のおかげで孤独死のようなケースが発生するようになったのも事実。法制度内だからといって,地震大国なのに規制が甘かった改正前の法令にも問題があったんだよね。
確かに証人喚問の日をわざわざ合わせたのかなと思ったぐらいでした。そのことに気がついていれば,もう少しマシなことを言えただろうに、ねぇ?